沿革
大正12年 | 宇式電気商店を創業(創始者:宇式 仁) |
昭和 5年 | ラジオの組立・販売の事業を開始 (ラジオ放送開始に伴う) |
昭和 8年 | 付属電話の事業を開始 (電話設備事業の開始) |
昭和10年 | *富士通信機製造株式会社、資本金300万円で設立(現、富士通株式会社) |
昭和15年 | 電灯工事・動力工事が主な事業モーター捲線修理・軸受けメタルの製造等 従業員6~7名 |
昭和18年 1月 | PBXは全て共電式交換機。顧客は、銀行・証券会社・商事会社等々 |
昭和18年 12月 | *日本電話設備会社発足(全国の電話設備会社が統合される)以降は電話設備の事業は不可能となる |
昭和20年 6月 | 静岡空襲により店焼失 |
昭和21年 | 宇式電気工業所を宮ヶ崎町11番地に再建。電気工事・モーター修理・家電販売が主な事業 |
昭和29年 | *PBXが10年ぶりに事業可能となる |
昭和30年 | 富士通信機製造株式会社の特約店となる |
昭和34年 | *静岡電話局が自動交換機となる 当社第一号の自動交換機として、某マスメディア会社のH型150回線を手がける 以降、銀行本店・市役所等の大型物件を手がける |
昭和39年 | 株式会社 宇式電気工業所 を発足 代表取締役に宇式又一郎就任 *富士通株式会社静岡支社の前身の富士通信機製造㈱静岡出張所が、当社事務所の2階に開設 |
昭和42年 | *富士通信機製造㈱から、富士通株式会社へ社名変更される |
昭和44年 | *交換機はステップバイステップ方式からクロスバー方式の時代へ遷移していく *電電公社の請負工事の認定制度が発足。全国で特甲クラス:50社、甲クラス:250社が認定される(当社は特甲クラス) 201回線以上の電電公社請負工事を手がける 各地市役所・製紙・造船・楽器・自動車等々の製造業 |
昭和48年 | 事務所を静岡市宮ヶ崎から、静岡市長沼へ移転 |
昭和57年 | *交換機はクロスバー方式から電子交換機の時代に遷移していく 第一号として某総合病院の電子交換機を手がける |
昭和60年 | *日本電信電話公社から、日本電信電話株式会社(NTT)となる 沼津営業所新事務所を沼津市西沢田に建設 浜松営業所を開設 |
昭和62年 | 株式会社 宇式通信システムに社名変更 代表取締役に宇式寛記が就任 |
平成 元年 | 静岡市長沼の同一敷地内に新本社事務所を建設 |
平成 2年 | 寮へのレンタル電話サービスを”U寮システム”として販売開始 |
平成 5年 | NTTのPBX販売店に認定される 全国で101社、県内では1社 現在稼働中の当社が手がけたユーザーは1,320社となる |
平成 8年 | 静岡市内イベント施設において、第一号のモバイルシステムを手がける(アナログコードレスシステム) 某総合病院においてPHS導入第一号(新聞掲載され話題となる)九州のNTTより見学にみえる(デジタルコードレスシステム) 全国規模の製紙会社において、全国の内線化をD-MIXにて構築 |
平成14年 | 某シティーホテル内のLANとシステムの一部を構築 -新しい分野への挑戦の始まり- 新設大型病院の通信システムを手がける 全国規模の製造会社に本格的なテレビ会議システムの構築と同時に、IP-VPNに電話・テレビ会議・データの11拠点の共存を実現 本格的な通信のIP化へと進む |
平成15年 | 全国規模の医療機会社の全拠点ネットワークの構築を実現 富士通グループと共に(IP-VPNによるネットワーク) |
平成17年 | *政府の指導により、全国で市町村合併が進む 某自治体の合併に伴い、両者をVoIPによりネットワーク構築 |
平成19年 | 全国規模の製紙会社において、全国のフルIP化を実現 大規模フルIP-PBXの第一号として構築 |
平成22年 | 「エコアクション21」の認定を受ける |
平成26年 6月 | 沼津営業所を同住所に新築移転 |
平成28年 5月 | 総務省:電気通信事業の届出受理される |
平成29年 8月 | 本社事務所を静岡市葵区長沼から、静岡市駿河区国吉田へ新築移転 |
平成30年 2月 | 浜松営業所を浜松市中区砂山町から、浜松市東区和田町へ移転 |
平成30年 3月 | 熱海営業所を沼津営業所へ統合 |
令和 4年 12月 | SDGs宣言 |
令和 5年 4月 | 創業100周年 |
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